2007年7月8日(日)うす曇
穏かな日曜日です。
胃を悪くしてから、「食」についてよく考えるようになりました。
一体私たちは何を食べているのでしょう。
この疑問に対する本質的答えとは?
私の結論はこんなんです。
『それは、「命」そのものである。』
食材も様々な物がありますが、全てこの世に「生」を受けたものばかりです。
昔、飢饉になると泥水の上澄みを飲んで飢えをしのいだこともあったそうですが、このような事を続けていれば、恐らく人間らしい心を失って「餓鬼」になるか、あるいは生きる気力がなくなってしまうのではないでしょうか。
やはり「おいしい物」を食べないといけません。では、何を「おいしい」と感ずるのでしょう。やはり、全てこの世に「生」を受けたものではないでしょうか。
つまり、「食」とは「命」を受け継ぐ行為と言うことになります。したがって、私は物のもっとも美しい食べ方は「むさぼり食う(devour)」事ではないかと思っています。それが、命を落とした物に対する「礼」ではないかと思うのですが、どうでしょう。
ついでながら、都会の出す残飯を目当てに烏がたくさん集まってきて、追い払うのに苦慮している自治体もあると聞きます。私が思うに、悪いのはカラスではなく、非は人にあると思っています。そこで、私がカラスの気持ちを代弁して見ようと思います。
曰く、
「食い散らかしてるのはお前らだろ?」
曰く、
「ワシらは捨てられた命を拾いに来ているのだから、少しはありがたく思え!」
と言うことで、今日のコーヒーは残さないようにお願いします。
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